目黑大路さん、森下大輔さんの対談

舞踏家の目黑大輔さん

岡山県津山市にあるアートギャラリー、Port Art & Design Tsuyamaにて写真家の森下大輔さんの展示、併せて舞踏家の目黑大輔さんの公演がありました。その中でお2人の対談があり、司会を務めさせて頂きました。そのフィードバックを記します。

奇妙な必然

写真家と舞踏家の対談。異分野での対談はお互い初めてということ。森下さんは批評家さんとトークしたことがあるそうですが、今回は業界の内々な話ではなく素朴な話がしたいと事前にお聞きしました。私を含め、アートに慣れ親しんでない津山市民にも、直接作り手さんの話を聞けば、作品の理解の一助になる。企画の目的と意向が一致しました。

驚いたのは、偶然の一致がたくさんあったことです。まず、森下さんの展示名が『Shadows of Light』。目黑さんの公演名が『Marble』。影と光、白と黒が混ざり合う。森下さんの写真と目黑さんの舞踏の内容がリンクする場面がありました。Portスタッフも、作り手の姿勢が同じだと。実際、森下さんも、目黑さんの公演をみながら、わかるわかると同意されたそうです。

自我を消していくこと

目黑さんの舞踏のラストシーン。足枷がついて立ち上がれないが、なんとか立とうとする。何度もチャレンジする。森下さんはそれを見て、20代のある時期にまっすぐ歩けなくなったことを思い出したそうです。自意識に縛られたある時期。そのシーンをどう解釈するかは人それぞれですが、過剰な自意識は足枷にもなりかねない。お2人が表現の際、気をつけていることは作為がでないこととおっしゃられていました。ムダを極力省いていくと、自我まで省略の対象になる。

私も小説を読んでいて、自分のことが気になって、頭に入らないということがあります。これは小説に没入できずに、自分にこだわっているということ。こだわりを捨てれば、広い世界に飛び立つことができます。鳥取のアーティストレジデンスでカンボジアからいらしていた画家の横内さんも、なにかを好きになるということは、自分の可能性を広げることにつながるとおっしゃられていた。あるいは、岡本太郎さんの本にも、アートの究極は、自我をなくすことだと。仏教の教えにあるようなことが、アートにつながるのは、おもしろいです。

私も、他人の目が気になったり、頭に人間関係がへばりついて、目の前のことに没入できない。しかしお2人は、結果を考えず、ただつくることを続けているだけだと結論づけていました。

目の前のことに没入する。自分の人生の役割を全うするには、自我のこだわりを消す。写真に考えさせる。写真に選ばれている。森下さんは表現します。ただ、目の前のことをつづけよう。作り続けよう。

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