東大読書と知恵の悲しみ

なぜ人は本を読むのか。本を読むのが習慣になっている一方、読書からなにが身につくのかを常に考えてきました。

なぜ本を読むのか、という疑問には亡くなられた児玉清さんの本の一節を当て嵌めています。「素晴らしい文章を読むと、心のどこかが耕される」。昨今、インスタントな方法論ばかりが記述してある自己啓発本がひしめいています。ながくゆっくり、深く向き合って本から何かを得るものひとつではないでしょうか。

定期的に読書術の書物を読んでいますが、今回は毛色のちがう現役東大生の読書について学ぶことにしました。

本と会話をする

著者は現役東大生の西岡壱誠さん。著者欄に名前だけでなく「現役東大生」と、赤門のシンボルらしきアイコンがプリントされています。本はずっと残るのに現役東大生でいられるのは時間が限られているはず。ここらへんは、出版社のインスタントな姿勢が見え隠れします。

冒頭は著者の自己紹介から始まります。偏差値35から2年浪人して東大に入った苦労人…。西岡さんが学んだことは、知識を活かすということです。東大では知識の量ではなく考える授業が多いとか。

東大生はみんな、さっと本質をとらえたり、論理展開がクリアだったり、物事を多面的にとらえたり、知識をつかいこなせたり、複雑なことを一言で説明したりすることができます。

たしかに、知識は溢れていても使いこなせなければ重荷でしかありません。むしろ、「これはこうだから」と受けとった知識で視野を狭めてしまう人もいます。応用がきかなくなってしまうというか。

それを防ぐためには情報を鵜呑みにしないこと。かんがえること。受けとった情報を基に自分の中でなにが構築できるか。

たとえば、英語もそうです。ゲストハウスなどでアメリカ人、英語が非ネイティブのドイツ人などと会話をする機会がありました。もちろん言語は英語です。きづいたことは、彼らはとてもイージーな英単語しか使っていないこと。中学生で習う程度の英単語しか使っていませんでした。

つまり、私たちは義務教育で習得した英語でコミュニケーションが可能なのです。しかし現実に私たちは英語を話すことができない。それは知識を活かす能力に欠けているということです。

かんがえる、ということは最高学府に属さなくても日常から鍛えることができます。思考能力を鍛える、多面的に物事をとらえること。それは読書で培える。読書はとても身近な投資です。

西岡さんは「取材読み」、「質問読み」など本と対話しながら読むメソッドを教えてくれます。これは割と多くの作家が読書のときにしている行為。ああ、自分はこの点が足りなかったのかと反省させられました。

つまり能動的に読む、ということ。積極的に本から栄養を摂取するには読書側の姿勢も大切なところ。

知恵の悲しみ

東大読書の中で「クロス読み」というメソッドが紹介されていました。並行していくつかの本を読み、多角的に情報を捉えるという読み方です。

今回は児童文学家の長田弘さんの「知恵の悲しみの時代」という本を並行して読むことにしました。名前には「現役児童作家」とは書かれていませんでした….。

この本はいくつかのエッセイから成っており、すべてが読書論というわけではありません。しかし勤勉な読書家でもあった長田さんらしく、読書に関する文章が収録されています。

まず胸を打った文章があります。「かんがえるとは、理屈をつけることではなく、ふかくかんじること」。そうか。本を効率よく知識を得るツールではなく心を耕すためにはかんじることが大切なんだ。

今は情報量がおおく、手軽な答えがもてはやされています。が、答えも自分も流動的だし形を留めるものではありません。

この本には戦時中の読書について書かれています。戦争という圧倒的な暴力を前に文化や知恵は力を失います。それでも、前線にいた兵士が、日本に残された妻に本を送ってくれと手紙を送ったエピソードなどは希望が湧きます。その兵士は戦死してしまいましたが、それから陸軍本部が兵士のために岩波文庫を各本5000部ずつ買い求めたという話が続いています。

戦って命を落とすかもしれない状況下にあっても知恵の欲求という人間らしい感情を止めることはできません。

戦争に向かいつつある私たちの時代。この流れを止めるために、本を読んでかんがえるというこは最大のカウンターになります。かんがえましょう。

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