湘南移住記 第十一話 「珈琲の実践 その3」

毎日毎日、珈琲豆を焼いて、お客さんに珈琲を淹れる。単純な行為だが繰り返していくと自分の軸になる。そんな日々を送っていると、マチノキチで働いてるエース君が「芯ができてきたなあ」とある時言ってくれた。自分で店を立ち上げ、珈琲の仕事を通じて、新しい自分が形成されていく。この一年半を通じて出来上がった自分を天のカメラから写していこう。

上達の喜び

最初はヘタでも繰り返していく内に上手くなっていくもの。焼きムラからくる雑味や嫌な苦みも感じ取れるようになり、均一に豆を焼けるようになってきた。セオリーではないかもしれないが焙煎の前に水道水で生豆をキレイに洗って丁寧にハンドピックする。カフェバッハの田護さんの教則本を見るといかに豆を均一にするかで質が変わってくると書いてあった。手間を惜しまずできることをした。手間を惜しまなければ人が喜んでくれる。そう考えると次第に楽しくなってきた。地道な作業に思われるかも知れないがそんなに苦ではなくなる。

高校生のころ、漫画家になりたくて絵の練習を始めた。毎日書いていくとノートに絵が積み重なって見返すと上達の変遷がわかる。何事にも変え難い喜びだった。ラップもビートもそう。人間としてもそうだったのかもしれない。珈琲で身を立てるとなったら質を上げなければならない。質を上げるためには誠実にならなければならない。自分が誠実な人間と言うにはあまりに不遜だが、お店を巡っても丁寧な仕事をされている方に惹かれるようになっていく。結局、店主の人格性がお店に比例するのだろう。

オープンから4か月経ち、ある時に竹内さんが店に顔を出してくれた。まだ薪ストーブを設置する前の冬のこと。珈琲に関してとやかく言わない竹内さんだが、「豆売りをしてもええな」と言ってもらえた。その時に、珈琲屋としてやっていけるようになったんだなと思った。認めてもらえた嬉しさと安堵感があった。ある段階を越えることができた。やっていくと上達するものである。

停滞を越えて

hatisにとっての初めての冬。もともと倉庫だった場所を改装したのでごっつ寒い。よく我慢したものだった。吉田の一言でナンバにあった安売りのダルマストーブを導入する。丹後山アパートメントのつばさ君に頼んで設置してもらった。面白かったのが、火を囲むと同じ時間帯にお客さんがくるようになる。この時期新規のお客さんは減っていたが来客数だけ見ると冬は多くなった。常連さんが増えたということである。一時なんか人でいっぱいになった日もあった。hatis内で人と人とを繋げていくのが目的だったので嬉しかった。楽しかったしね。音楽ライブもやったりして非常に楽しい時期だった。

ただ、この時期は珈琲が疎かになっていたように思う。繰り返しになりすぎていてあまり冒険をしてなかった。ひとつスタイルができたので壊すのが勿体なかったのだ。しかしそれだと成長が止まってしまう。ひとつやり方が出来上がったらすぐさま次の試みをした方が効率的に成長できる。

その停滞を壊してくれたのが女将だった。

女将の適正

冬にもそれまで扱ったことのない東ティモール、ベトナムのルビーマウンテンなどチャレンジして焼いていたが思うように豆の特性を引き出すことができず結局コロンビアかグアテマラに戻ってしまう。出来上がった枠から飛び出すことができない。

バンコクさんだけでなくネットの卸サイトから利用するようにもなった。津山ではなかなか取り扱ってない豆を出すようにした。ひとつひとつ賛否がある。今思うと、数種類をいきなり焼いていくのではなく、種類を絞って取り組んでいったほうがよかった。

津山で美味しい珈琲を飲めるためにも、もう一つレベル上げたいがどうもうまくいかない。常連さんは美味しいと言ってくれて変化を望まなかったが私は次の扉を開けたかった。

故あって、女将と2020年3月から住むことになる。ちょうどコロナの影が日本に落ち始めていた頃で、hatisでも元々そんなにこなかったお客さんがさらに減った。具体的に言うと3月末からぱったりとランチ客が途絶える。ランチに出していたスパイスカレーもまあまあ評判がよく、売上的には助けてもらっていたのだが。夜バイトに行っていたBar Zackも一時閉店。とにかくまあ大変な時期。

そんな状況下の中で女将が店を手伝い始めてくれた。珈琲を淹れ方を教えてくれと懇願したり積極的に手伝ってくれた。身内なので褒めるのも気恥ずかしいが、器用な人で慣れるとすぐなんでもできるようになる。1番驚いたのが焙煎。元々音楽をやっていて感覚が微細だ。私が感知できない味覚まで言い当てる。手網焙煎から始まり、新しく導入した鉄製の手回し焙煎機まですぐ使いこなすようになった。

香り重視でさっぱり好きな私とは好みが違い、女将はこってりジューシーが好きだった。マンデリンを焼きたいと志願してきて焼いてもらうとまあ美味しい。hatisのお客さんの傾向にも合っていた。なんというか、豆をモノにするのが早い。1キロ仕入れただけでもその中でモノにする。女将が焼くようになってから風味の重心が香りから甘みにシフトしていった。

あるおっさんの言うことを聞いて360円にしていた価格を420円にした。のちにこのおっさんの言うことを聞いたことが間違いだとわかるが。その代わり豆のグレードを上げた。仕入れ価格をキロ単位500〜1000円あげて農園指定のものを使うようになった。もうこれが楽しくて楽しくてね。珈琲屋をやっていて自分もいい珈琲を飲めるからいい豆をどんどん入れていった。女将もそれに応えてくれて焼いていく。半年ぶりくらいにきたお客さんに珈琲が美味しくなったねと言われひとつ段階をあげたことを確信する。楽しむことも、また上達するためのやり方のひとつですね。

女将と豆を焼いていた4ヶ月間、客観的にも伸び率は良かったはずなので閉めている今がもったいない。岡山の珈琲レベルには達していなかったがその未熟さが楽しかった。岡山の壁の上には大阪のレベルがあり、東京はもう一つ天井が高いのだろう。世界でみると、日本自体が3年遅れているという。海外のロースターの豆を飲んで体感することができたが。

女将が掲げた目標は珈琲でアメリカに認められるということだった。器と共に成長していって、津山から世界に発信できる珈琲が作ることができたら楽しかったろうに。新しい土地でチャレンジしようと思います。

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