湘南移住記 第二十話 「家」

店を閉め、心の槌をどこに振り下ろせばわからず、誰も見てねーだろと放置していたこのブログに文を書き始めてはや3ヶ月。派遣で精根疲れ果て、書かない時もあったが、マイペースに書き続け二十回目になった。

意外と色んな人に見て頂いています。ありがとうございます。この3ヶ月の葛藤と経験がなんらか役に立てば幸いです。

昨日、内藤さんからラカンの読書会レポートを読んで、「こころは言葉でできている」という言葉がおもしろいなと思った。高校生からラップで歌詞を書き始めたり、mixiやブログで文章を何気に書いていて面白いと言ってもったり、仕事でも褒められたこともあった。言葉の表現を自然にしている。適正があるのだろう。なによりたのしい。今後はこれを武器にして人の世に役に立つ。

もう家を建てなくてもいい

糸井重里の「インターネット的」という本を読んで、ネットには本にはならないが種になるものがたくさんあってそれをおもしろがればいいと書いてあった。まだインターネットが根付いていない時代に刊行された本で、今読んでみると面白い。ほんとに糸井重里が考えたんだろうかと思うほどに先を予見している。本来の糸井重里の思考パターンから外れているような箇所もあるが、クリエイティブで食っていくために当時まだ山のものとも海のものともつかないインターネットでホームページをはじめ、いままでほぼ毎日更新しているというのはすごい。糸井重里はほぼ毎日今日のダーリンで文章を書いている。

参考になったのは、ネットでは音楽的に文章を書いているとのこと。リルケもそんな感じなんだよな。私もダブとかアンビエントみたいな空間的で気持ちのいい文章を書こう。

また表現がしたくなってきた。表現をしてないとどうも気が詰まってしまう。ダーティハスキーのアルバムもよかったし、ラップで音源つくってみようか。

ほぼ日は今では上場企業となっている。継続は力なり、というやつだ。私も岡山や鳥取を知ってもらいたいと始めたこのWebマガジンも、やらない期間も合わせて3年目。今後はたくさんも人を巻き込んで、もっと大きくしていこう。

先日、小田中のあたりを女将と散歩した。知らない道をずんずん進んでいくと下田邑のへんまで出た。末田池というわけわからん池があるへんだ。津山に都合20年ほど住んだがこんな地域があるとは知らなかった。坂が多く、工場がぽつぽつとある。その工場がある会社の寮らしきものもあった。もうやってない酒屋や鉄板焼き屋の跡もいくつか見た。ああ、昔はこのあたりで経済が回っていて成り立っていたのだなとわかる。

使ってない家がいくつも残っていた。屋根がぼろぼろになってブルーシートがかかってる家。まだ使えそうな家。これから私は使っていた家を手放すので誰かくんねーかなと思った。くれたらこの地域と津山にとっていいことをするのに。

湘南に家を買うと決めて、わかったこと。賃貸はとても損ということだ。例えば私は神戸に再び戻って5年生活した。家賃が4-5万円の生活をしたが、ざっと見積もっても250万円の居住コストを支払っていたことになる。探してみると、須磨あたりには300万円で買える家もある。空き家で探していけばもっとあるかもしれない。

これから日本は人口が減っていく。つまり空き家が必然的に多くなる。じゃあなんで新しく家を建てる必要があんの?あるものを再利用して使えばいいのではないか。

こうなる前は家にかけるお金を子供の教育費にかけようと考えていた。家を失って新しい家を手に入れようとしているが、かつてはそう考えていたのだ。湘南にいけば家使ってくれよ、ていう人が現れるかもしれない。

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