湘南移住記 第五十四話 「心の自由」

くたびれた。まずその一言からである。短期で雇ってもらえるだけでもありがたく、一生懸命やるのだが、なかなかの重労働。ここで働き続けている人は最大限のリスペクトを送る。文章を書く気にもなれず。来週末には終わるので、そこから更新の頻度は上がるでしょう。水曜日の休日、腹を下しながらこれを書いている。

しかし、1日8時間も労働すると他のことをするやる気もでない。自分の店では12時働いても楽しく、エネルギッシュに過ごせるのだが。ああ、でも、店をやっている時はブログを更新していなかった。書くネタがなかったから。文章を書くことは自分にとって大切だから、また店を始めても書き続けたい。一つの場所に留まらず、日本中を動き回るライフサイクルにする。

マシュマロにつつまれる

2連休。暑いのでクーラーをつけて、1人布団にころがる。いままでの労苦がそのまま体にのしかかってくる。体が重い。Spotifyに落としておいたThe Sweet Enoughsの『Marshmallow』を聴く。

メロウ、じゃなくてマシュマロと読むのか。マシュマロのスペルをはじめて知った。このアルバムはHiatus Kaiyot というバンドのベーシスト、ポール・ベンダーのソロプロジェクト。疲労した心身を、マシュマロのように包んでくれる音楽。仕事のあとの一杯のように、音楽が身に染みたのはいつ以来だろう。調べてみると、詩の一文のようなアルバムコンセプトも美しい。

“[It] feels like the entirely appropriate time to make this dreamlike record of soft warm breezes, mysterious birdcalls, starlit pools in which lovers swim, a castaways hermitage transcribed on palm fronds and sent in a bottle across the distant waves to your golden shores,”

あたたかいそよ風、神秘的な鳥の鳴き声。星あかりのプールで恋人とおよぐ。そんな時間にぴったりな夢のようなレコード。世捨て人の隠遁のくらしが、ヤシの葉に書き残され、遠い波から、あなたの黄金の浜辺まで、ボトルに入ってとどく。

訳すと、こういった意味になるだろうか。このコンセプトをそのまま、次の店に使おうか。いいなあ。

思えば、hatisも誰かの一息つく場所になっていたのだろう。

数秘

店の常連で、ヨガインストラクターをされているヨシさんの、数秘術のパーソナルレッスンを女将と受けた。数秘術は、古くはピタゴラスの数学思想から発生した占いで、自分の生年月日の数字を足して、出た値によって占う。私もホロスコープをしているが、どうも共通している箇所があった。ホロスコープはギリシャよりはるか以前、バビロニアに起源があるのだが、元を辿れば同じかもしれない。

私の値は「5」。女将の値は「9」。5は、自由を重んじる数字。ヨシさんも同じらしい。女将の9は、知識。なんでもできて、人の心を読むことができる。前世からの課題を現すカルマナンバーによると、人間関係の執着を手放すことが大事になるらしい。5の性質は、ホロスコープでいうところの風のエレメントに似ている。

面白いのが、中国の九星気学でも、私が「5」で、女将が「9」。五王土星と九紫火星。数秘術では5と9の相性はよくないとされているが、九星気学ではまあまあいい。四柱推命では日柱に私が辛、女将が戊で、かなりいい。

占いごとに相性の結果が違うのはどういうことか。それは、その占いが成立した時代や文化にもよるのではないだろうか。ホロスコープでは2人の関係が太陽星座が水瓶座と獅子座で、対抗星座だ。ちょうど180°反対ということ。これは人によって解釈がちがい、あまりよくないとする人もいれば、いいという人もいる。私からすると、対抗星座の夫婦はいいバランスを保っている。180°逆ということは、軸が一緒ということ。何かあったときに意見が一致するということだ。

私と女将の相性を話すと、お互いに悪くはないという見解になる。1人の時間が絶対に必要な私が、唯一ずっといても苦にならない人。これは私が1番驚いている。ずっといて、ずっと話が尽きないのもすごい。どこかに出かけ続けている。人が呆れるくらい。

もちろん、合わない部分もある。お金のことに関しては喧嘩の種になり続けている。生活の基盤になるその部分は、私が変わる決意をした。料理もそうかな。2人とも料理はしていて、味覚が同じゾーンだが、濃いと思っていた私が薄い。同様に、個性的な部分があると自分では思っていたが、それをはるかに凌駕する女将の人間性、クセ。

合わない部分もおもしろいんじゃないかな、と思うようになってきた。人間だし、個性の違いはある。付き合いだしたころ、女将は私のことを尊敬していると言ってくれた。私も、女将の感性や人に寄り添う部分を尊敬している。自分にないものだから。とは言っても、喧嘩はするし、収入面はどうあがいても改善していかなければならない。あと、お互いに気を遣わなくていいとこまでいけば、家族としてやっていけるだろう。

距離感

いまだに小中学生のころの同級生にばかにされていたことを思い出す。もう会いもしないのに。津山に三年いてもぴくりとも会わないのだから、もうほっといてもいいだろう。この三年で出会った人の中でも、私にとってよくない人は、会わなくなった。相手にとってもそうだろうし、無理をして会わなくてもいいと思う。その人がどうしているか、知る術もない。会う人には会い続けるし。これからも多くの出会いがあるので、そっちを楽しみにする。

津山だと、ホントにこの人たち仲いいのか!?という人間関係が多い。仲がいいのか、牽制しあっているのかわからない。コロナになる前はインスタが相互監視ツールのようになっていたし。なんの仕事してるか絶対聞かれるし気持ち悪かった。ミニ北朝鮮だなと思ってた。コロナになって、距離感ができてちょうどいい。

津山のインサイドな感じには、最後まで慣れなかった。だが同時に、店をやってわかったのは、オープンマインドの人も一定数いること。そういう人たちは津山から出てしまうか、肩身狭くくらしている。移住や引っ越しの人も多かった。ずっと津山にいる人はなんかもう暗え。鳥取もそんな感じらしい。hatisは、オープンマインドな少数派の拠り所になりたかった。

これからは不必要な人間関係を手放し、心の自由を手に入れる。人の目を気にせず、自分の道を歩む。コロナ時代は、そういう人も多くなるだろう。

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