音楽の旅④「Hip Hop」

ヒップホップに関しては、良いも悪いもあった。その分、学んだことも多く、自分の背骨になっているものだ。ひとつのジャンルやカルチャー以上のもの。自分の人生に欠かせないもの。多くの出会いをもたらしたもの。

店では、ヒップホップとカテゴライズされる曲はかけづらかった。年配の方も来るので、ビートが入っているだけでも心配になった。次第に、アンビエントをよくかけるようになった。チルアウトという店のコンセプトにもよくマッチしていた。お客さんさんが来ない日に、爆音でグリーンアサシンダラーのビートテープをかけていた。今思うと、気にしすぎだったかもしれない。

普段の生活からヒップホップからは遠のいていた。ボサノヴァをよく聴くようになっていた。曲を作るとなると、ヒップホップを聴くようになる。曲を作るのが好きで、ヒップホップの作り方しか知らなくて、後からついてくるようになったのだろうか。吸収したいのだと思う。

ヒップホップは私にとってはコミュニティの入口であり、コミュニケーションの手段であった。多くの仲間ができ、多くの経験した。愛もあるし、そのまた反対の感情もある。それを俯瞰していきたいと思う。

出会い

Dragon Ashのミクスチャーミュージックは、ロックとヒップホップとを掛け合わせていたものだった。そこからロックではなく、ヒップホップに傾倒するようになる。

もともと、みんなが聴いているものが好きではなかったので、J-POPを聴くのは避けていた。普通ではない刺激を求めていた。

今やヒップホップはアメリカではロック以上のマーケット支配率を誇り、世界最新の音楽になった。私が聴きはじめた頃のヒップホップは、これから大きくなろうとしているところで、わくわく感があった。よくわからない混沌。

当時まだ、日本でヒップホップを聴く人は少なかった。テレビに出てこないので、周囲でも知っている人もほぼいなかった。高校生の時に家にインターネット回線が引かれ、ネットでディグって情報を得ていた。

最初は、日本のヒップホップ。中学三年のころ、津山唯一のTSUTAYAのレンタルコーナーを最大限に活用し、アルバムを借りまくってMDに落としていた。

さんぴん世代を多く聴いた。ツイギー、ムロ、ブッダ、ソウルスクリーム…。Dancehall Cheakerという、レゲエもヒップホップも入り乱れて集合した曲があって、リノとデブラージを初めて知った。声がかっこよかった。ラップは声のかっこよさありきで聴いているところがある。

ニトロが出始めの頃で、ファーストのみレンタルコーナーにあった。メンバー全員が電車からこちらを睨んでくるブックレットが怖くて、あまり聴けなかった。一曲目は、繰り返し聴いたけど。やっぱり、あの曲がすべてを物語っている。

その中でも、ソウルスクリームは相当ハマった。リアルタイムでは3rdアルバムが出た頃だったが、1stの『The Deep』が1番好きだった。ソウスクは、トラック選びがめっちゃ良かった。リリックの内容は、理解できていたかどうか。ラップでなにか言っているというのは、最近理解できはじめた。ラップは、楽器のように聴いていた。

ビートを作りだすと、リズムが自分の体の中に入り込んでくるという感覚ができた。仙人掌のラインに「自分の見たもの 聴いたものが自分を構成する」といった意味のものがあったと思うが、音楽も体に入り込む。水のように、空気のように。

ダダダっ!と耳に入り込むラップと、ビートのリズムの気持ちよさの中毒になっていた。ヒップホップのすごいところは、中毒性があって、繰り返し聴いてしまうところ。この快感には抗えないものがあった。

ずっと後になって、90年代のヒップホップには、生きるためのメッセージや思想が込められていると知った。フロウするために、意味のないワードや曲もあったが。当時の私には理解できなかったが、集団に迎合できないマイノリティとして、共感するものがあったのかもしれない。

私が生まれるより前にアメリカで誕生して、日本で生まれて、その後の人生に大きく影響を及ぼした。出会うのも必然だったのかもしれない。そう思えるような、地熱のようなエネルギーがヒップホップにはある。

さすがにヒップホップは一記事にまとめられない。水星逆行期間中にまとめようと思います。

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