音楽の旅⑤ 「Club Pi;z」

18歳。関関同立に行きたくて、浪人したかったが、両親に許してもらえず、神戸学院という大学に行くことにした。後期でやっと受かった大学。

高校を卒業してから、作陽高校の田中先生に頼み込み、猛勉強した。熱気を見せて浪人をさせえもらえないかと思ったが。心配だったようで、させてもらえなかった。生まれてから今の今まで、両親には信用してもらえなかったということだ。ずっと疑われ、不安の種だったようだ。

神戸学院の合否はネットで知った。合格通知を見て、父は泣いていた。父は『親ができることは見守るしかない』みたいな本を買っていて、父も父なりに悩んでいた。どうすればいいのか、わからなかったのだろう。

受験で私も参ってしまい、呼吸が苦しい時期があった。私は生まれつきの不整脈を持っていて、ストレスが溜まると息苦しくなる。

最近はストレスが胃腸にくるようになった。これが日常化してしまうと、病気になってしまう。夏目漱石は結局、イギリスに留学した際に罹った神経症で胃をやられて亡くなった。

仕事に就くと、ストレスが溜まりやすい。例えば納得のいかない方針の会社で、一生懸命働いて摩耗して、ストレスを溜めるのもどうかと思う。昔はそれが大人と考えていたが、働いて愚痴をこぼすくらいだったら自分でやったほうがいい。

昔、ホテルで働いて怒られたものだが、今思うとなんでそんな言われなあかんねんと腹が立ってくる。怒る方が完璧かというと、そうでもない。個人事業主をやって、価値観はひとそれぞれと気づいて、殊更に確信を増した。自分の軸が必要だということに。ノーストレスに生きることだってできる。他人にとやかく言われても、何を思われても、貫き通せる信念を持つこと。なんか言ってくる人が、助けてくれるとは限らない。店を開いて、近所の駅前の人でも、一杯の珈琲さえ飲みに来てくれなかった。ウワサするは好きなのに。反対に、店に来てくれる人、応援してくれる人、温かい心を持った人の優しさは、忘れない。神戸からわざわざ来てくれる人もいれば、毎日通りかかっているのに店に入ってくれない人もいた。何か行動を起こすと、だれが味方か敵か、ハッキリする。そして、自分一人で動けるよう、実力もいる。

だから、18歳の私に言いたいのは、自分の軸を持て、ということ。自分の夢をもつこと。夢を持つということは、生きる方針を持つこと。別にお前の夢はいい大学に行くことではない。それは結局、お前の両親の見栄でしかない。そのことの気づきを得る第一歩が、ヒップホップだった。この年にリリースされたNujabesの1stアルバムをMDに落として、吉井川の河川敷を散歩した。春風と陽光が気持ちよかった。やっと1人になれて、嬉しかった。

Pi;zとの出会い

神戸に移り住んで、最初の場所が伊川谷でよかった。伊川谷は神戸市西区と明石市の狭間みたいなところにあって、ここはほんまに神戸かいという朴訥なエリアだ。山があり、川があって、すこし行くと明石大橋が見える。神戸学院のキャンパスがあり、学生の街として発展していた。後で知ったが、音楽に関わる人も多く住んでいた。この場所に、私の魂は癒された。

ある時、DJ Krushが神戸に来る、という情報をキャッチした。こちらに来ると、雑誌やネットで雲の上の存在だったアーティストが出演するライブに足を運ぶようになっていた。

最初は、大阪・心斎橋のFirefly。RUMIを観に行った。ヒップホップではなく、ガールズバンドのイベントだった。初めてイベントに行って、入口で入場料を支払った。一枚のもらえるようだ。ドリンクチケットというものをもらった。これと引き換えにドリンクを一杯もらえるようだ。バーカンへ行って、コーラを頼んだ。コーラを片手に、客席のまあまあ前のほうでライブを観る。

ライブとライブの休憩時間に、出演者の女性ボーカルがRUMIのラップ中の手の動きがわけわからんとディスっているのを聞いて、音楽の世界も人間模様が実際の世界の延長線上であることを実感した。

たしかに、曲というより、RUMIのライブ中の手の動きに夢中になった。CDや曲を通してでしか知らなかったバーチャルな存在が、目の前で動いていることに感動した当時の日記にも、RUMIが何かを落とし、DJブースの下をごそごそ探している絵を描いていた。タモリが蕎麦を食っていること、ツチノコがなんか食っているのを目撃するような気分。

DJ KRUSHは、観れなかった。チケットが売れすぎてPi;zに入場規制がかかったらしい。Pi;zに通っていて、後にも先にもないことだった。この時のPi;zの店長さんがイッテツさんという方だったのだが、後にDJ KRUSHのマネージャーになられた。イッテツさんが呼んだのだろうか。

ここまで来て、とがっくりしたが、次の週にMSCがくるという情報を手に入れた。この頃は一応ネットや携帯電話があったことはあったのだが、まだ整備されているとは言えなく、アンダーグラウンドが本当にアンダーグラウンドな頃だった。今やテレビやメディアに出てナンボのヒップホップだが、MSCがゲストのイベントともなると、暗号を解読しないと辿り着けない暗黒舞踏会に行くような心持ちだった。

実際、会場は暗くて、独特のギトギトした空気感に溢れていた。人がいっぱいで身動きがとれない。隣のやつはぴーぴー声をあげてうるさい。みんな我慢しながらDJを聴いて、MSCの出番を待っているような状況だった。Pi;zの一つしかないトイレで、プライマルとすれ違った。うわあ、プライマルだ。伝説の龍に遭遇したかのような気分だった。一度会場を出ると、路上に漢もいた。神戸のお姉様に関西弁を習っていた。

ライブはすごかった。『宿ノ斜塔』のリリースツアーを回っていたMSCは、文学で言うなれば梶井基次郎のような、まさにイルな世界観であった。私の心も1番ダークな時期だったので、共振したのだろう。2000年初頭は、浮かれすぎていた90年代の反動で、くぐもった心の澱が日本中に沈殿していたころだった。ダークな心でいたのは、私だけではなかった。朝7時になっても続くフリースタイルを最後まで見ていた。

このイベントは、Pi;zで毎週月曜行われていた!!! Mondayというフリーイベントのスペシャルだった。オーガナイザーの未踏さんという方と知り合って、びっくりマンデーに通うことになる。

よく「あれが衝撃だった」とか「刺さった」とか、音楽を聴いて表現することが多いが、私にはよくわからない。どちらかというと、必然的な流れを、受け止め続けてきた。このPi;zとの出会いは自分としてはかなり大きな出来事で、自分の人生に風穴が開いていった。

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