湘南移住記 第九十六話 「吐露」

女将と私、お互いに迷いを抱えたまま、翌日。いいのことか悪いことなのかわからない、喧嘩があっても翌日には普通通りになるのが私たちだった。一緒に暮らし始めた頃、私はよく怒っていた。女将はよく泣いていた。あの頃より修復が早くなって、今では衝突の15分後にも普通に話していることもある。

今日、三浦に帰る予定だったが、流石にこの靄のような状態では帰れない。もう何日か女将と対話することにした。横須賀の物件の契約は、先延ばしにしてもらっている。契約を決め、横須賀で仕事をさがし、お金をつくりたい。

ここしばらく、ずっと動いていたので、止まっている時間はあまりなかった。水星逆行中なので、丁度いいタイミングなのかもしれない。愛の星座、天秤座での水星逆行。まさにお互いに見直している。

強くなった背中

これまで、女将と猫とふたたび生活する、という希望も持ってここまで来た。それが叶わないかもしれない。しかしそれは、女将が人生の目標を持ち始めたからだった。

女将は朝、出勤。昼休みに財布がないと南町の家に戻ってきた。じゃあ序でにと、アルネまでいっしょに行った。

一階のハピーズでパンを買う。女将は惣菜パン2つと野菜ジュース。私は昼食でパンを買う時、惣菜パンとお菓子パンを1種類ずつ、2個買う。高校生くらいから、そうするようになっていた。弁当をつくればそれより安く済むので、近頃は買ってなかったが。習慣の違いがおもしろい。

女将に促され、4階の広場で食事をした。昼休みが短いので、急ぎ足で食べる。広場には、学生や、お年寄りたちがいた。広場の事務員が、「1時からセミナーが始まるので出て行ってください!」と甲高く叫ぶ。もっと配慮のある言い方はないのだろうか。

女将が、これからマッサージの資格を取って、仮にだがサロンをやっていく。改装費もいる。では女将の今の仕事では収入が追いつかないので、仕事を変えなければならない。商売を始めるにしても、すぐに収益化はできないかもしれないので、時間がかかる可能性もあるよ、とか具体的な流れを話した。

その話し振りを見て、どこか頼もしくも感じた。女将に芯ができて、強さが生まれようとしている。彼女の人生にとって、大事な場面だ。ここでやり切ることができれば、強い自信が生まれるだろう。

一緒に生活できなくても、私はこれでいいような気がしてきた。この人なら任せても大丈夫だろうと、恋人というより、ビジネスパートナーとして、一人間として信頼ができる。いままでかなり覆された、今度は大丈夫だろうと。その判断をしてしまうのが、私の甘さなのだとも思う。

嗚咽

腑に落ちない部分もあった。話の整合性が取れてないところもある。なにより、神奈川に来てそれをやって欲しいという想い。一緒に成長していきたいという想い。

女将が職場に戻って、南町の家で私は考えていた。どの着地点が1番いいのだろうか。2人とも同じ方向を向いているようでもあるが、そこへの辿り着き方がまったく違う。お互いの理解不足もある。

私はこの1年の、南町での生活を思い返した。2人と3匹の日々。大変だったけど、何気ない生活。私が女将の名前を呼ぶと、「はぁい」と返してくれていた。そのことを思い出すと、涙が溢れた。何気なくも、幸せな日々は、もう戻ってこないのかもしれない。どんなに幸せだったことか。どんなに女将が支えてくれたか。どんな楽しかったか。どんなに話したことか。落日、布団の上で嗚咽を繰り返した。

と、同時に、その日々が戻らないことも覚悟できた。もうそういうところまで来てしまったのだ。

夕方6時すぎ。秋になり、日はとっぷり暮れて窓の外は暗い。女将が帰ってきた。開口一番、「寝てたの?口が寝息臭いで」と言う。一人で泣いてたんだよ馬鹿野郎、的に答えるとアハハハおもしろいじゃんと笑っていた。マジでなんやねんコイツ。

吐露

横須賀と南町の改装の相談も含め、2人で丹後山アパートメントに行くことにした。3日前に店用に作ったカレーを持っていった。ギリ大丈夫だろう。

丹後山アパートメントに着くと、大きくなった山羊のたまちゃんと、ナルちゃんと吉田が迎えてくれていた。3人は魚を食べていた。

近況報告をし、和やかに過ごした。吉田がイズミで買ってきた愛知県産の魚と、焼いた椎の実を振る舞ってくれた。

しばらくすると女将が、3人に今の現状を相談し始めた。いままで2人で詰めていたが、違う視点で聞けた。すると、私が思い違いをしている的や、女将の想いがわかった気がした。

女将は女将で悩んでいたし、何かを変えようとしている。その変え方が根本からなので、時間はかかっていたが、お互いに、このままではいけない、より成長するために考えていた。

ナルちゃんは、同じ女性の立場として応えてくれて、例えばマッサージなら神奈川の方が仕事も多いし、あちらでもできるのではないかと提案してくれた。吉田は、私の行動が大きすぎるのではないかと言った。私は女将と確認しながら話を進めていたつもりだが、言い出せなかったこともあるのだろう。

3人にお礼を言い、丹後山アパートメントを後にした。女将が私以外にここまで正直に吐露するのは珍しい。社交的なようで、壁がある人だから。

やっぱりどうも、私には女将の心情を理解できていない部分があるようだった。

支度

翌朝。スッキリして、この1週間で1番距離が近づけた時間。店に置いていたカセットコンロと炊飯器を回収して、女将が朝食を作ってくれた。えのきのお味噌汁と、ソーセージとピーマンと茄子の炒め物。

支度の前に、女将は洗濯をしてくれていた。天気が優れないので部屋干しをした。

テーブルにつき、女将にこれからの提案をしようとした。順番に気持ちを話そうとすると、女将が、「全然話聞いてないじゃん!」と突然怒り出した。

怒りながら、台所に立って、朝ごはんの支度を始めた。話しかけられないのでら支度する様子を見ていた。ああ、そんなこといままでしていなかったな。言葉よりも、振る舞いのほうが、その人を理解できるのかもしれない。

納豆をわざわざパックから出して、小鉢に川上町で買い求めた自家製の梅干しを添えてくれた。怒りながらも、そこまでの手間をしてくれることに感動した。手を合わせて、久しぶりに家でごはんを一緒に食べた。

今日はホームセンターに行って、トイレと玄関の補修をする予定だったが、女将のバイトが入っていることに気づいて、取りやめになった。

お互いに、まだ揺れている。だが、私が女将の理解に努める必要があることがわかった。それは会話ではなくて心を見ること。対話は、必ずしも言葉が必要ではないことを知った。

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