湘南移住記 第119話 「母の味付け、地方の文化」

正月に津山に戻ってきたのは、女将に会うためだった。だが、結局会うことができなかった。

気を遣う部分もあるので、なぜ会えなかったかに関して、書けるかどうかわかりません。書けるとしたら、私の心持ちの部分だけ。すこし綴ります。

去年は危機の連続を、なんとか乗り越えてきた。これからも一緒になれそうだった。その先のことを考え、今年の収支の計画を立てていた。

私が女将の気持ちを考えてなかった。想像力を欠いていた。女将に対してだけではなく、他の人に対しても。自分の感情を優先しすぎたところがある。

まだ向き合って話し合ってないのでなんとも言えないが、今は距離感が必要。私が寄りかかりすぎたのだと思う。物理的な距離も、難しさがあった。そして、お互いの将来へのヴィジョンの食い違いが大きくなり始めている。

悲劇のヒロインにならずに、なぜこうなったのか俯瞰して捉えなければ前に進めない。


母の味付け

3日。出発を前に、実家の母に挨拶をしに行く。ご飯を食べさせてもらった。父が亡くなり、母の料理を食べれるのも機会が限られているのだな、と想うところがあった。味付けを覚えようとして、料理を頼んだ。食べてみたが、カバーできなそうだった。なぜか私と母で味付けの乖離がある。どうも母の味付けの傾向を忘れていた。

ほうれん草のおひたし、卵炒め、大根おろし、鶏肉と根菜の煮しめ。煮しめの牛蒡が味が沁みていて特に美味い。子供の頃から食べ慣れた味だった。母の手料理を食べながら思い出した。

亡くなった父は偏食家で、ホワイトアスパラガスを1ヶ月食べ続けるような人で、家族で1人だけメニューが違っていた。そんな父が、私たち子供は、母の料理をなんでも美味しい美味しいと食べてくれようるけん感謝せにゃあいけんと言っていたと教えてくれた。まあ、実際うまかったしなあ。ただ、焼きそばだけ苦手だった。キャベツが大きく切りすぎていて水分が出過ぎている。そのことを伝えても母はいやそんなはずはないと修正しなかった。母は母で料理の思想があったのだろう。

店で自分の料理を出すようになってから、他の店でご飯を食べる時、どういう味の組み立てだろうと分析するようになった。食べに行くこと自体が勉強になるようになった。

母は酒屋の娘だった。なので、醤油と料理酒はこだわっている。醤油はわざわざ岡山市から箱買いで取り寄せている。そこが美味しさの原因だろう。母に、材料は吟味せにゃあいけんなと言われた。野菜や調味料にこだわること。お客さんにできる誠意だろう。

私はプロの料理人ではない。だが対価を頂く以上、いいものを出さなくてはいけない。今ではYouTubeや本で独学で多くを学べることができる。フードペアリングや、ガストロノミーを取り入れたら、すごくレベルが上がる。目下、スパイスカレーに使う出汁を勉強中だ。

父が亡くなり、実家の商売も母1人で切り盛りしている。会社の名前は残してくれ、という祖母と父の遺言があるので会社は受け継ぐが、業態は変える。なぜなら、実家は毛糸の卸売業は、小さい頃から毛糸業界自体がダメだと言われてきた。

なにか違うことをしなければいけないな、と考え、インターネットなら場所を選ばないだろうと、20代後半は神戸でネットに関する仕事をしていた。うまくいかなかったが、コロナになってから、その時の経験を使わざるを得なくなった。失敗だろうが、経験は役に立つものだ。

カフェだけだと、今年も年に半分はあるであろう緊急事態宣言に対応できない。カフェは補償金はもらえないからだ。こらからはもはや人間がコロナに合わせていくというところまで来ている。天土のことは人間ではどうにもならない。自然は人間にコントロールできないからだ。ワクチンを作ろうとすり抜けてしまう。

さびれた空気、津山

津山はなぜこんなにも寂れてるのだろう?歩きながら疑問に感じた。寂れ方が異様だ。

津山の人口の半分しかいなく、神奈川県で唯一消滅可能性都市に指定されている三浦市の方がまだ活気がある。津山よりはるかに規模が小さいはずの逗子や葉山はいわずもがな。

津山のいた時も、鳥取や岡山の様々な街を女将と巡った。津山まで極端に寂れている街は少なかった。関東に出て、かなり深刻な事態ではないかと感じるようになった。

なぜ津山はここまで寂れているのか。

日本で1番栄えている、東京との違いはなにか。

万歩書店で坂崎乙郎の『絵とは何か』という本を買った。坂崎は西洋美術の評論家で、絵そのものについて書かれている書物。その中の一節にヒントがあった。

(中略)それにくらべると都会の文化は、きわめて人口的なものになりやすい。人口的ですから、きれいで華やかであるけれども、もろいし、脆弱だし、虚飾である場合が多いわけです。

ゴッホやゴヤなど、歴史に名を残す画家は好んで自然溢れる田舎に住んでいた事実を挙げ、創作に必要な感覚を養うには、人間関係が多い都会よりも田舎が向いていると坂崎は説く。

東京の魅力は文化があること、と東京を歩きながら考えた。音楽をはじめとするエンターテイメント。お洒落なカフェ。なんでもある。

じゃあ、津山に文化がないかと言うと、そうでもない。神輿や和太鼓、食など、継承されている文化が根強くある。一方で、都会の脆弱な文化はない。

文化とは1次的な文化と2次的な文化に分かれるのではないか。2次的というのは、例えばヒップホップであったり、コーヒーであったり、ナチュールワインであったり、海外から入ってきたもの。

1次的な文化とは土着的なもの。言い換えると、日本が本来もっていた文化。日本人が大切にしてきたもの。

店をやっていても、津山でクリエイティブな人とよく出会った。アートギャラリーであるPortに勤めていたからというのもある。絵を描く人もいたし、陶器を作る人もいた。自分のつくるもので食べている作家さんも少なからずいた。

津山にも文化はある。

だが、みんなドメスティックにやりすぎていて、形が見えづらい。Portの経験がなければ、生まれ育った私でさえ津山に作家がいると知らなかっただろう。

そういう人たち一人一人の存在が、街の魅力だ。もちろん、何かを作ってない人でも。

hatisでは、都会的な文化を提示しようとしていた。津山の仲間でも、そういう活動している連中はいる。

ただ、点を線に変える作業は必要だろう。私が横須賀で商売をする時も、津山の一次的な文化を紹介することがミッションになる。

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