ミラン・クンデラの報告

吉田から2ヶ月ぶりに連絡があった。フランスの作家、ミラン・クンデラを読んでいる人間が周りに2人いて、自分は読んでいない。という報告のメール。彼からの連絡はいつも突然だ。

鎌倉が旅先から日常へ変わった。気がつけば、横須賀市で店を始めようとしている。会社も始めようとしている。多くを失いながら、また変化がはじまる。

どれひとつとっても、津山でhatisを開いたときには思ってもみなかった状況だ。

津山に留まっていると、視界が狭くなる。その危機感が募っていた。神戸の友人が訪ねてきてくれて、話しているとそれが確信に変わった。 

女将とあちこちに出かけるようになり、岡山県内でも、知らない場所が多いのだなと改めて知った。

また、一つの場所に留まりすぎると、ストレスを感じてしまう自分の性分も悟った。

店を出して2年目から、津山以外にもうひとつ拠点を持ちたいと思うようになり、物件を探すようになる。

現在は、高齢化社会の真っ只中だ。ということは、空き家物件が多くなる。今借りている横須賀の物件も、おじいさんが使っていて、ホームに入るので手放した、と久里浜のガス屋さんから聞いた。それを中国人が買い取って、岡山から来た私が借りている。同様のケースはいま、日本中で増えているだろう。

家は使わないと老朽化する。空き家がある地域の人がどうすることもできないから困っていて、家を使っていると近所の方が喜んでくれた。初めに住んだ三浦市でもそうだった。

物件を探してみると、安いどころか、無料で譲りますという物件が多いことに驚く。さらに調べてると、維持費がかかることから、お金を支払ってでも物件を手放したいというケースもあった。静岡の伊豆あたりの別荘にそのパターンが多い。

現状がボロボロなので格安の価格や賃料になっていることも多い。私がいましているように、自分で直すことができればこれほどいいことはない。中古住宅を購入しても結局リフォームに一千万円かかる、という話も聞くが、それはかかりすぎだ。

工務店を通すから高くなる。DIYができる友人に頼めばいいし、自分でやればいい。というか、衣食住のうち、住む場所の手入れというのは、人間が生きる上で必須の技術だ。横須賀の物件ではそれに気づくことができた。

14歳のころと

帰り道でふと考えた。14歳のころの自分と今では、なにが変わったのだろう。

 

決定的に違うのが、自分で自分の生きる道を決めていると言うこと。その頃は人生に対する価値観もなく、ただ親に言われるがまま勉強をさせられていた。

先日、YouTubeで、細野晴臣と坂本龍一がラジオで対談しているのを聴いた。YMOの不和時代を振り返って、坂本龍一さんはよく細野さんに突っかかってた、それは坂本教授が父が怖くてどうしても逆らえなかった、と分析していた。

坂本教授がご病気をされた折、やっと父親と喧嘩したらしい。細野さんは、「ああ、そこでやっと大人になったんだね」とおっしゃっていた。

大人の年齢になったとしても、本当の大人になれている人は少ない。働いていてそう思う。幸不幸の定義は人それぞれだが、ずっと子供のまま居続けるというのは、幸せではないだろうな、と思う。

14歳の頃はバスケに夢中だった。学校ではうまく馴染まなかった。それが津山の輪に入らない原点になっている。

今は、自分の好きな場所で生活できるようになった。

店を持ち、独立をした。

今度は、場所でさえ自分の手で得ようとしている。

去年は、ああ、自分の人生は途上なんだなと感じる瞬間が幾度もあった。当たり前のことなのだが、当たり前に気づいていなかった。昔に比べると、できることが随分と増え、意思決定の機会も多い。

現時点がすべてだと思い込んで、いじいじしていた。エヴァのシンジくんみたいだ。こういう振り返りをどの時点ですべきだった。

相続で肌身に沁みたこと。自分の家は自分で手に入れる。しかも、自分で直して、手入れする。人間の実力に入ること。

お金の意味、自分だけでなく

お金。自分だけでなく、家族も食わせること。そういう事業をつくること。

もとすけという友人がいる。彼は神戸の東門街で間借りのバーをしている。彼と久しぶりに話したとき、自分だけではなく、自分の仲間もどうやって食べていくかが課題になっていた。

「次のレベルに行きたいっすね」と言っていたが、充分次に進んでいた。最近は自分で料理も作って出しているようだ。店で出すブッタネスカをInstagramのストーリーにあげていた。

私は感謝ができていなかった。はじめて店をつくったとき、周りに助けてもらいっぱなしだった。今もそう。少しずつ返していく。感謝をする、行動をつづけることが、大人への道だろう。

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