感覚を、ひろげる

すごくおもしろい動画を見つけた。下記を参照されたい。

Instagramやblogで、どんな人も写真で表現をするようになった。ある人は娘の成人式を撮り、ある人は昨日たべたラーメンをアップする。何十万円もするカメラで、美しい風景の写真をTwitterにアップする人もいる。

写真にはたいてい、対象がある。ひと、もの。料理、風景、自分、他人。

明確にその人を撮っていることもあれば、偶然に風景に映り込み、記号的に捉えることもある。

私も無意識に写真をつかってコミュニケーションをとっている。一家言を持っているほどではないが、ないなりに、写真がどういった意味をもつのか、ひとつ考えてみる。

視覚のトリップ

人間には五感がある。これを見つけた人は偉い。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。この中で、アートに接するために使うのはほとんど視覚と聴覚だ。視覚と聴覚だけで、その人の心を変えることができる。

例えば、つらいことがあったとする。夕焼けの海を見にいく。美しい。心が晴れる。見た人の、明日からの行動が変わる。

夕焼け海を見て、さざなみを聴くことで、心に作用する。つまり目で見て耳で聴いて、なにかを吸収している。

それはblogにも起こり得ることだ。

動画では、トーマス・ルフというドイツの写真家のことが語られている。圧縮したjpegを無理やり引き伸ばすと、グリッドのノイズが出て、ルフは意図的にそれを表現としてつかっている。

動画の語り手たちは、ルフが写真の枠組と可能性をひろげていると語っている。

James Blake的なことで、残響で人になにか伝えるというか。言葉で言うと、詩にあたるもの。絵で言うと、抽象画。たしかなものではなくて、その裏側にあるもの。

認識の誤読

かつて、日本に『Provoke』という伝説的な写真の同人誌があった。その写真を模したアプリを手に入れ、いくつか写真をつくったので、掲載しておく。

すべて、2022年、令和の東京を収めたもの。だが、エフェクトで写真にざらついた加工をすることで、昭和の写真のような錯覚を起こす。

私たちは歴史の教科書で、昔の写真を黒白で見ている。その経験から、脳が黒白だと昔の風景だと認識をする。この写真は今のものなのに。

さらに、構造は複雑になるが、東京の路地裏にある、昭和そのものの建造物を映せば、令和なのに昭和の写真になる。タイムスリップしたような感覚。

この誤作動が新しい表現につながるのではないか。

Donuts.では、地球そのものがアートの惑星になればと考えている。SNSのような個人のメディアでも、表現の可能性は無限にある。みんな使い方を限定して、気づいていないだけ。

見ている方の感覚を持つ拡張することができれば素晴らしいことだ。

ブログ自体がメディアアート。人と人をつなぐ。人間のねむっている可能性を掘り起こす力がある。

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