マンデリン、寂しさの苦味

3月後半に店をプレオープンすることにした。さる人に、「楽しいだろうけど、いつまでも作り続けてはだめだよ」と言われ、店づくりに目処をつけることにした。細かくこだわりすぎてもらキリがない。ある程度、形にして、営業をしながら変えていくことにした。変化し続けるのもひとつの楽しみではある。

横浜での短期の仕事が決まった。2月がまったく稼働できなかったは計算外だった。派遣を3,4社ほどあたったが、条件になかなかあてはまらなかった。

どうも、indeedに掲載されている求人情報は釣り広告が多いようだ。不動産賃貸と同じ手法で、いい条件のフェイクを出しておき、連絡だけさせて、本当にある求人を紹介する。もちろん、本当の求人はフェイク求人よりも時給が低かったり、条件は落ちる。

くわえて、週4では見つけづらかった。土日に店をやるので、平日に週4勤務という条件になる。週5ならいくらでもあったのだが。

今日、短期でやっと、ひとつ見つけることができた。

神奈川に移ってから、ここまで仕事が見つからないのは初めてだった。鎌倉の仕事をしている時から動いていたが、見つかるまでまるまる1ヶ月かかったことになる。条件が絞られると、時間がかかる。タイミングもあるし。だが、津山で仕事を探すよりは全然マシだ。

もしかすると、店に専念せえよ、という天からのメッセージだったかもしれない。当面の生活も考えなければいけないが、その先の商売に集中する必要もある。実際、プレオープンを心に決めてから仕事もすんなり進んだ。そういうものか。

新しい店で、どう横須賀に役に立てるか。人に来てもらえるか。新しい文化を作れるか。発信ができるか。それを考えて実行していく。

ずっと焦燥感に追われていたが、ようやく楽しくなってきたところだ。

探していて気づいたのは、東京方面だとリモートや業務委託の仕事が多いということ。MacBookを購入し、動画編集を覚えて、カフェをしながら働くというのも面白い。例えば、東京の仕事を岡山ですることも可能だ。パソコンとツテと技術さえあれば。

三浦へ

正月に三浦で世話になっていたマグロ屋から手伝って欲しいと連絡が来ていた。マグロ屋には元女将とも一度、客として行っている。正月は忙しいから、岡山から元女将を呼んできてほしいとも言われていた。

さすがに元女将も断った。だが心苦しい面も残っていた。

マグロ屋は土日祝だけシフトに入れる。つまり、店を開けてしまうと手伝うことはできない。

最後のチャンスかもしれないので、連絡をしてみた。すると、祝日の天皇誕生日に来てくれと言われた。改装を休んで行くことにした。毎日改装ばかりしていたので、違う風を吹かせたいとも思っていた。

横須賀の佐野二丁目のバス停から国道26号線を通り、三浦の三崎東岡まで出る。

出勤前に、10月まで住んでいた白石町のあたりを歩いた。私が住んでいた一軒家は新しい人が住む、と大家さんから聞いていたが、どうも使われている様子はなかった。

ほんの3ヶ月前までここに住んでいたのに、遠い過去にも思えた。元女将とまだ一緒だった。若女将も2度ほど三浦を訪れた。

ここ何日か、夜、元女将のことを思い出して泣くことがあった。哀しみがどうしても離れてくれない。忘れようとして店づくりに励んでいたが、時折思い返すことが多かった。

失って、元女将の存在の大切さに気づいた。わかっていたつもりが、わかっていなかった。

白石町から長善寺下の階段を下り、三崎のマグロ屋へ向かう。

マンデリン

マグロ屋は忙しかった。あいかわらず繁盛していた。

昨日の夜、焙煎した珈琲豆を持ってきていた。マグロ屋で世話になったNBさんに飲んでもらうためだった。

NBさんは昔気質の厳しい人物だった。仕事中、私は何回も怒鳴られた。たがとても優しい方で、仕事前にドーナツをつくってくれたり、商売のことでよく相談に乗ってもらっていた。なんというか、人情味のある人で、親子ほど年齢は離れていたが、かっこいい大人だと思っていた。

NBさんはむかし、衣笠の喫茶店で飲んだマンデリンが美味しいと語っていた。そこで、マンデリンの生豆を仕入れ、もっていくことにした。

誰かのために珈琲を出すのは久しぶりで、焙煎も思うようにできなかった。マンデリンのシナールという銘柄で、苦味が特徴のマンデリンに、香りが纏われている。その香りをうまく引き出すことはできなかった。

抽出用の道具一式を持っていくのは大変なので、リビング横須賀で見つけたフレンチプレスを持っていった。これならお湯があれば珈琲を淹れることができる。予め豆を挽いていく。ただ、フレンチプレスは使ったことがなかったので、練習しておいた。当日の朝も4回淹れた。

だが、NBさんの姿はマグロ屋にはなかった。事情があり、店を辞められたそうだった。

ちょっと寂しかった。元女将がこの店に来たときも、三浦に来るよう言ってくれていた。なにか恩を返したかった。

仕事はお金が目的だ。だとしても、ひとつの縁ではある。お金以上のなにかが生まれることもある。仕事の縁の大切さ。

三浦で出店すればNBさんも私の珈琲を飲みに来てくれるかもしれない。三浦で店を出す理由がまたひとつできた。

三浦は不思議な温かさがある街だった。住んでいて寂しさがなかった。マグロ屋さんのみなさんは優しくて、昨日まで働いていたかのように接してくれて嬉しかった。仕事は、ブランクがある私をカバーしてくれた。街の人も、通りがかりによく声をかけてくれていた。

急に、寂しさがこみあげてきた。〈ミサキプレッソ〉で自家製レモンチェッロを飲んで、横須賀に帰った。人に会いにいく以外で、ひさしぶりに店で呑んだ。

〈ミサキプレッソ〉の自家製レモンチェッロ、550円。記憶と同じく、甘くてほろ苦い。

手紙

今日、棚の荷物を整理していると、元女将の手紙が出てきた。津山から出るときに私がくれたもの。

元女将に関するものはほとんど手放した。iPhoneやInstagramに残った写真やメールのやりとりも、もうない。残るはこの手紙だけだった。

この手紙も手放さなければいけない。最後に、一度だけ読んでみることにした。

そこには、「これからも一緒に頑張っていこう」と書かれてあった。その当時の元女将の心が記されていた。ずっと一緒じゃ、とメールでやりとりしたことを思い出した。この手紙まで手放さなければいけないと思うと、また涙が溢れてきた。

だが、この時と今では、元女将の気持ちも変わっている。それを認めなければいけない。

別れようと切り出したのは私からだった。もうこれ以上関係を続けるのは難しい、と判断したからだった。

でも、私が諦めなかったら、結果は変わっていたのかもしれない。

泣きながらその手紙を手放した。そして、店の客間に、ペンキを塗り始めた。鎌倉で買い求めた、薄紫色のペンキだとた。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。