余韻

日曜日の18:00。店の営業を終えて、夕食を済ませたら佐野町の〈No.13〉にいく。というのがここ1ヶ月のルーティンだ。

店の買い出しがあるときは途中の京急ストア上町店で済まして、さらに20分ほど歩く。ちょうどいい距離。

佐野町の通りは店の跡がたくさんのこっていて、昔は夜でも賑わっていたんだろうな、と想像しながら歩く。人通りはほとんどない。横須賀市民病院行きのバスが走っている。

社交場

夜の〈No.13〉がおもしろい。店の近所の人がよく来るようになって、社交場のような雰囲気だ。夜組の常連さんと、その日のだれかがいて、珈琲を飲みながら話をする。

珈琲屋に来る人って饒舌な人が多い。そんな人たちが珈琲を飲むと、さらに舌の回転がよくなる。珈琲は思考を活発にする力があるので、言葉の量が増える。

5席というのも、話が円滑に回るちょうどいい席数。異業種の人が集まってそれぞれの話を聞いたり、自分の知見を述べたりもする。地元の人も多いので、横須賀の話を聞くのが好きだ。

1年前に横須賀にきたときはほとんど知り合いもいなくて寂しい時もあった。夜、お酒ではなくて、珈琲がのめるお店があるのは最高だ。

〈hatis AO〉も〈No.13〉と同じく、21:00までの営業にするから、いつか行かなくなる日がくるのだろうか。と考えると、ちょっと寂しくなる。

私も〈No.13〉の野口さんもそうだが、店としての目標があって、それに向けて平日の仕事も、日々の努力を重ねている。

改めて客として珈琲店に行ったとき、感じることがあった。珈琲を飲みながら誰かと話すことは、ある種の奇跡なのだな、と。

店をやってる側にも、想いやストーリーがある。また、そこに集まる一人一人にも、各々に生活があり、仕事がある。

職場や家庭でない場所に集まって、独特の線引きがありながらも、他愛のない話をする。日々の重圧から解放されて、気が晴れる瞬間。

お酒だと、線引きも緩くなってしまうし、重い話題にもなってしまう。

日常の理性を保ちながら、軽い会話を交わすことの大事さ。

家庭と職場意外にコミュニケーションをとれる場所って、今ではネット以外だと少ないのではないか。

そして、ネットだと線引きが薄くなる。なんでも言えてしまう状況になる。

線引きをしながら、日常から離れた他愛もない会話をすることって、人間は大事なんじゃないのだろうか。珈琲はその手助けをしてくれる。

大袈裟だけど、都会で起きる凄惨な事件でも、話を聞いたりしてくれる人がいたとしたら、結果が変わったのかもしれない。

珈琲の仕事って、心を扱う仕事に近いものがあると思う時がある。珈琲が繊細なものだからだろうか。風味の質がいい、以上のものが確実にある。

天文学的確率

〈No.13〉からの帰り道、ふと考えていた。

店って、随分と多くの人に支えてもらって、成り立っているんだなあ、ということ。

岡山で私がやっていた店もそうだった。常連さんがいて、一見さんも来てくれた。子育ての気晴らしに、仕事の合間に珈琲をのみに来てくれた人。スパイスカレーを定期的に食べに来てくれる人。私に会いに来てくれる人。

今も、多くの人に協力してもらって、関係を築きつつ、土日の営業につなげている。

生活のこともあるので、数字のことも常に考えなければいけないけど、それぞれ生活のある人が、自分の店にお金と時間を割いてきてくれること自体、やっぱりすごいことだ。

この時代にその街に同じく生きていたとしても、会話をする確率って、ほとんど奇跡的に近い。天文学的な数値に近いだろう。

珈琲は縁を取り持ってくれる。

〈hatis AO〉も、そういう、だれかの暮らしの支えになれる場所になれたらなあ。

さっき飲んだ珈琲と、会話の余韻に浸りながら、佐野町から富士見町へ帰る。店の明かりもほとんどなく、夜灯だけが静かに煌々と光っている。夜道のようでもあり、深海のようでもある。

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